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*眉山の緑とモラエス モラエス=1854年〜1929年(安政1〜昭和4)=は、ポルトガルのリスボン市 で牛まれた。 海にあこがれていた徴は海軍兵学校を終え、士官に任官、中 国のマカオ港務局副司令 となり、富国強兵の日本に強い関心を持 つようにな った。神戸に来て副領事、総領事を歴任する。1913年(大正2)亡妻福本ヨネ の郷里・徳島に来住した。ヨネの姉ユキの娘・斎藤小春を妻とし、文筆生活に 入り、政情不安ということがあったせいかも知れぬが、終生母 国のポルト ガルには帰らなかった。ポルトガルには新聞等に「日本通信」として、日本の さまざ生活の資を得、のちまとめて著書とした。眉山の縁がおおいかぶさるよ うな徳島市伊賀町の長屋に住み「おヨネと小春」「日本精神」「徳島の盆踊り」 など多数の著書は邦 訳・出版されて、全集も出版された。1916年(大正5)愛 妻・小春も病死し、被は老体に加え、リュウマチを病み、小春の母・斎藤ユキの 看護を受けていたが、孤独のうちに1929年(昭和4)寓居で没した |
小泉八雲と並ぶモラエス 33年間日本に住んだが、そのうち17年間を徳島で過ごし、徳島の小泉八雲 (ラフカデイオ・ハーン)と称された。モラエスと小春の夫婦墓は徳島市寺町の 潮音寺の庭にある。このモラエス(ウェンセスラウ・デ・モラエス)を記念するた め、 1976年(昭和51)7月1日、徳島市眉山山頂にモラエス館が開設された。 徳島をこよなく愛したこの文人にふさわしく、3階展示室には生前の伊賀町の 長屋の純日本趣味の居間兼書斎を再現し、愛した書画・机・脇息を置き、これ を中心に「日本精神」「徳島の盆踊り」「おヨネと小春」などに代表されるポル トガル語の全作ならびに邦訳書・研究苦等を配列し、彼の作品の背景となる 明治・大正の徳島の風俗も紹介している。 |
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770-8071 徳島市八万町中津山4−129
徳島個人 中村タクシ− 中 村 功
電話&FAX 088−653−0280
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