四国88ケ所霊場 第76番札所 金倉寺 こんぞうじ

住所  香川県善通寺市金倉寺町1160   宿坊なし 駐車場 広い  大型可
電話  0877−62−0845

仁王門を抜けると、正面に大きく立派な本堂がある。戦乱により焼失してしまったが、再興が繰り返され、
現在の本堂は昭和の時代に入ってから改築されたもの。そんな歴史の盛衰とはうらはらに、広大な境内
は実に閑静で、本尊の薬師如来も穏やかな表情を見せている。




本 堂  



本尊 

薬師如来

開基 

和気道善
本尊の真言 
おん ころころ 
せんだり まとうぎ 
そわか
昔から文化の程度の高かったのは、四国では讃岐の那珂郡と多度郡で、
この地からすぐれた人物を生みだした。多度郡弘田郷の豪族であった佐
伯一門からも、弘法大師をはじめ、知泉、円珍(智証)真雅などの高僧が
輩出している。なかでも智証大師は善通寺から四`はなれた金倉郷に弘
法大師の姪を母として弘仁六年(八一五)に生まれた。幼少のころから経
典を読み、十四歳で叡山に登り、後に唐へ留学し、やがて廷暦寺五代座
主となり、三井園城寺を賜わって伝法潅項の道場とした。


大 師 堂



建造は善通寺より半世紀近く古い宝亀五年(七七四)長者和気道善の開基で当時は道善寺と号した。もともと
当山は弘法大師のおいでのち延暦寺五代座主となり三井園城寺を賜った智証大師の誕生地である。のち唐か
ら帰朝した大師が、先祖の菩提のために伽藍を造営し薬師如来を刻み、本尊として安置した。金倉寺と改称した
のは延長六年(九二八)醍醐天皇の勅命によるものであり、この地の郷の名をとって命名、山号は迦葉尊者の人
定地にあやかってである。その後、広大な寺領や百三十二坊、数十の神仏閣堂宇は建武の争乱、さらに永正、
天文とつづいた兵火にあつてことごとく焼失した。その後寛永9年 1632年藩主松平刺重が祈願所として再興した

 









↑ 大師堂





















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