弘仁六年(八一五)熊谷寺をご巡錫中の大師が、修行中のことである。紀州熊野権現が出現し、この像を
安置せよ、と告げて一寸八分(五・五センチ)の金の観世音菩薩像を大師に授けてよった。そこで大師は、
自ら等身大の千手観世音菩薩を刻み、その頭髪の中へ百二十粒の仏舎利を人れ、金の観音像を胎内へ
納めたのち堂塔を建立。本尊として祀リ第八番札所と定められた。昭和2年火災に遭い本堂・本尊とも焼
失。昭和15年に本尊を安置する奥殿と拝殿が、昭和45年に供養殿と本尊が再建された。本堂から更に階
段を上った所にある大師堂は宝永4年1707)に建立され、安置されている大師像も永享3年1430の作とか
なり古いものとして寺宝になっている。境内にある二重の塔は、安永三年頃(約二百年前)剛意上人が建
せしたもの。また、納経所前の池に浮かんでいる弁天島の弁天島は、もとは大師堂の池にあったものだが、
昭和六年に移建した。弁天様は安産に霊があるという。
山 門
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春 地元の方のお接待
中 門
安永3年 1774年に建立 胎蔵界の大日如来を中心心に、東側に(あしゅく〉如来、南側に宝生如来
西側に無量寿如来、北側に不空成就(ふぐうじょうじゆ)如来と、四方に四仏が祀られている。色彩
豊かに彩られたこの塔は、多宝塔としては四国地方最古最大規模を縛る。
駐車場から少し上がった所に山門があり山門は、高さ13.2mの和様と唐様(禅宗様)の折衷様式
で、
貞享4年(1687 に建造された県指定の重要文化財。四国霊場の木造山門としては最大規模
となり、
2属目の天井・柱等には極彩色の天女像等が描かれている。また現存する大看坂「普明山
の領は安政
大修理の時に寄付されたといわれるもので、裏側には「萬延元年、月二十日 再興
願主矢部惣左エ門」
等の墨書が今も残っている。
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